テキヤの大親分の商い 其の三
- 2007/12/28(金) 20:59:48
今回は、これまでに紹介していないネタや商いを中心に触れてみたいと思う。
先ずは明治末から大正初期の頃にテキヤの系列に入った演歌師から。演歌師(テキヤの言葉でカエン)とはバイオリン片手にカスリの着物とハカマ姿で社会諷刺や悲恋を唄って唄本を売る者のことで、書生節ともいわれ、バイオリンを使わずに唄っていた時代もあった。この演歌師として全国の高市を渡り歩いた者に、関口愛治、倉持忠助らがいる。倉持が飯島一家倉持を名乗った当初、その若い衆は全て演歌を業とする者だったという。関口は若い頃に演歌師として高市を回り、終戦後には青空楽団を組織していた。また、飴徳四代目の永持英哉は演歌師の身内として飴徳の一員になった人物である。
セトバサと呼ばれる瀬戸物(ワンチャ)の競り売り(バサ)を得意としたのは、大正時代に関東丁字家の旗をあげた佐橋健太郎親分。そもそも丁字家とは丁字(植物)から採取される樹液を主体とした薬を行商した人達の総称で、薬草一本に拘る丁字家二代目・森弥二郎に対し、露店商への転換を図って関東丁字家を名乗りあげたのが佐橋だった。バサの語源は仏教の婆娑で、風の吹きようで変わる、客次第の商法という意味が込められたものといわれるが、南博・永井啓夫・小沢昭一編『芸双書 9 のせる 香具師の世界』(白水社)収録の朝倉喬司著『香具師をめぐる都市・大道・民俗世界』には、「『バサ』の語源は、梵語の伐折羅から転じた波沙羅(中世日本で、放逸、遠慮のないさまを指して使われた言葉)からきているといわれる」とある。
三階松一家九代目・荒井高六のネタはメロンだった。メロンといっても、まさか果物を売っていたわけではない。これはメロンやイチゴなどの味をつけた寒天が入っている食べ物のことで、大正や昭和初期に流行ったネタだった。
コロビ系の名門である會津家の二代目・川出喜三郎は洋反(西洋の反物)を仕入れて商っていた。川出は明治元年の生まれで、若い頃に密航でアメリカに渡り、日本に戻ってからは貿易会社に勤めていた変り種。アメリカ土産のオルゴールを路上で売ったのがきっかけで、會津家初代・カモ常こと鈴木常三郎の知遇を得たという。ちなみに會津家の系譜は、初代・鈴木常三郎、二代目・川出喜三郎、三代目・武藤信次、四代目・松葉武、五代目・坂田浩一郎、六代目・坂田春夫、七代目・中村政治と続く。宗家以外の者では、二代目分家の溝口泰吉、松葉武の兄弟分だった三宅平一、四代目から一家名乗りした田中直次郎がよく知られる。
大ジメ師のミンサイ(催眠術・気合術の手引書売り)の元祖といわれるのが田村宏次。この人は飴源の系譜に連なる親分らしい。テキヤの花形・大ジメ師は大道や広い場所を占領し、長広舌を振るって人を集め、弁舌の巧みさに依って商品を商う者の総称で、大ジメのネタには、法律書、英会話速修書、薬類、万年筆、まじないの本、バンソロ(計算手引書)、サンキ(円型計算器)、エッキス(透けて見えるという覗きメガネで、いわゆるガセネタ)などがあった。江戸期の書物で昭和四年に再編集された『香具師奥義書』に「香具師は先ず何よりも舌の働きが唯一の資本である。極端に云えば金が一文もなくても、これと目標を立つべき商品がなくても、無論店を持たなくても、人間の子の住んでいる土地なれば、彼等は決して困ると云うことを知らない」とあるように、香具師とは口上に全てを懸ける商売であった。この大ジメ師の神様とまでいわれ、のちにロクマに転じたのが、極東桜井總家二代目の日野清吉親分。ロクマとは占師のことで、仏教でいう六魔からきている。如何にして、この魔を払い除けるか、それを占った。ロクマには、道端で客を引く立見やヤサ打ち、旅館などを借りて宣伝するシキリがあった。甲州家の竹内長生(台東区会議員になった大物)の若い衆はロクマをやる者が多かったという。
大相撲の興行を仕切った親分には、奥州京都松前屋西村宗家二代目・及川四郎、関東丁字家佐橋一家の芝山益久の二代目・清水一らがいる。及川は三陸の勧進元(興行主)であった。清水は関東での相撲興行は殆どコネをつけていたという。清水について、政界往来社編『日本の大親分13人の完全データ−暗黒街を支配する暴力団ドンの意外な素顔−』(政界往来社、主幹・恩田貢)収録の「本州の神農界に君臨する小池寛会長 全丁字家」内「芝山と二代目清水一の奇縁」には「清水は自らが草相撲の出身だったこともあって、相撲興業に大きな情熱をみせた人であった。それが芝山一家の一員になることによって、芝山益久の後押しもあり、浅草寺の広場や、板橋、練馬などに相撲興業を次々と成功させ、娯楽に飢えていた人たちを喜ばせた。」との記述がある。
少し長くなったので、続きはまた次の機会に。
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