稲川会木暮一家とキグレサーカス

  • 2009/02/17(火) 20:21:33

前々回の記事で触れた吉本力著『仮設興行の今昔』の一文の中に木暮初太郎の名前が出てきたので、ここで彼について簡単に触れておこう。前掲書で吉本氏は単に「木暮初太郎」と書いているが、これは「二代目木暮初太郎」を指しているとみてよいだろう。この二代目初太郎は初代・木暮初太郎の実子であり、本名を木暮英雄といった。彼は吉田享楽舞踊団(のちの日本サーカス)並びに有田洋行会の団長であり、明治・大正・昭和の三時代に渡ってサーカスの分野に大きな業績を残した人物である。彼や木暮一家については、南博・永井啓夫・小沢昭一編『芸双書 2 さすらう サーカスの世界』(白水社)収録の中谷ひろし著『サーカスの歴史』に「明治の終わりのころ、横浜出身の木暮留吉という興行師がトラを持って巡業し、北海道に居を構えた。その子初太郎は器量よく、当時、道内にあったいくつかの勧進元をまとめ上げた。さらに、その子、英雄が二代目初太郎を襲名した」とあり、山平重樹著『北海道水滸伝』(双葉社)には「全道の興行権を持つテキヤの名門・木暮一家の稲川会横須賀一家入りが決まった。(中略)木暮一家は明治初期の内地から流れてきた木暮留吉を始祖とするが、一家を興したのはその子初太郎だった。初代・木暮初太郎〜二代目・木暮初太郎〜三代目・水野維佐夫〜四代目・木暮征生〜五代目・水野四郎と続く系譜で、道内では名門であった」とある。「木暮」については概ねこの通りだと思われ、どの書籍にも似たようなことが書かれているので、これ以上は触れない。但し「キグレ」となると話は別で、関連の書籍や記事には、この二代目木暮初太郎をキグレサーカスの祖と紹介しているものがあるが、これは正しくない。木暮一家の歴史とキグレサーカスの歴史はしばしば混同されるが、キグレサーカスの初代団長は二代目木暮初太郎ではなく水野維佐夫であり、水野が自身の兄分(稼業上は親分)である二代目木暮初太郎の名前を貰って付けた団名が「キグレ」である。二代目初太郎こと英雄の妻・芳子がキグレの興行を手伝ったことはあるものの、有田洋行会とキグレサーカスとの間に直接的な関係はなかったとされる。日本のサーカスの草分け的な存在であった有田洋行会も時代の波には逆らえず、昭和三十八年に惜しまれながら解散し、二代目初太郎は同四十年に死去した。木暮一家の稲川会横須賀一家入りが決まったのは、それからちょうど二十年後のことである。

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